翻訳と辞書
Words near each other
・ 登校拒否文化医学研究所
・ 登校授業
・ 登極
・ 登極令
・ 登楼
・ 登檣礼
・ 登注
・ 登渡神社
・ 登瀛書院
・ 登瀛書院 (南投県)
登瀛書院 (台北市)
・ 登熟
・ 登熟期間
・ 登熟歩合
・ 登猿
・ 登用
・ 登田真由子
・ 登石儁一
・ 登石郁朗
・ 登石雋一


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

登瀛書院 (台北市) : ミニ英和和英辞書
登瀛書院 (台北市)[とうえいしょいん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しょ]
 【名詞】 1. penmanship 2. handwriting 3. calligraphy (esp. Chinese)
書院 : [しょいん]
 【名詞】 1. drawing room 2. study 3. publishing house 4. writing alcove 
: [だい]
  1. (n,n-suf) (1) stand 2. rack 3. table 4. (2) support 5. (3) belt 6. (4) counter for machines, incl. vehicles 
台北 : [たいほく]
 (n) Taipei
: [きた, ほく]
 (n) north
: [し]
  1. (n-suf) city 

登瀛書院 (台北市) : ウィキペディア日本語版
登瀛書院 (台北市)[とうえいしょいん]

登瀛書院(とうえいしょいん、)は、台湾台北市にあった書院日本統治時代淡水館(たんすいかん)と改称し、官員向けの社交場や上流階級の集会場として利用された。後に台湾文庫の書館となった〔。
== 沿革 ==
登瀛書院は台北府知府陳星聚の発案により官民の出資を募り、後任知府の雷其達が1880年に創建した。当初書院は台北城府後街に設置され、後に西門付近(現在の台北市長沙街一段上)に移転。移設後、当地の街名は登瀛書院にちなんで「書院街」と呼ばれた〔。登瀛書院は代における最大級の学堂であった。
日本統治時代になると、台湾総督樺山資紀により、書院の建物は「淡水館」と改名された。まず官員向けの社交場として利用され、1896年以降は上流階級の集会場として使用された。その後私立台湾文庫が入り、1901年1月27日に開館した。1906年、台北市では市区改正による工事が進み、同8月16日に閉館、建物は撤去された。なお文庫の蔵書は東洋協会台湾支部に移管された。蔵書は台北天后宮大稲埕六館街にある林本源の屋舎を経て、最終的に台湾総督府図書館の蔵書の基礎となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「登瀛書院 (台北市)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.